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嵐が丘 (新潮文庫)
エミリー・ブロンテ(著)
おすすめ度
しかし、この新潮社版の翻訳者は、
原文がそんなに下品な言葉でないときでも、
下品な日本語に訳すなど、
英語の階級差による微妙なニュアンスが理解できているか疑問なので、☆三つです。
原書は、もちろん☆5つです。
要所要所は、ぜひ原文で"Wuthering Height"を読むことをおすすめします。
物語は「嵐が丘」の女中の回想談の形式で語られる。「嵐が丘」の旧館主アーンシャーはある日ヒースクリフと言うジプシーの孤児を連れてくる。アーンシャーにはヒンドリーと言う息子とキャサリンと言う娘がいる。アーンシャーは人徳者として描かれ、ヒースクリフを家族の一員として育てる事で、我が子の人間性を豊かにしようと図るが、二人の反発を招く。ところが、いつしかヒースクリフとキャサリンは恋仲に陥ってしまう。アーンシャーが亡くなると、ヒンドリーのヒースクリフに対する憎悪が爆発し、虐待を繰り返す。そして妹のキャサリンをリントン家に嫁がせて、ヒースクリフとの仲を裂く。ヒースクリフはいったん姿を消すが、財産家として舞い戻り、ヒンドリーとリントン家への復讐を開始する...。
一般にこの作品はヒースクリフの愛と復讐の物語と呼ばれているが、それだけでなく当時のイギリス階級社会を扱った点に特徴があると思う。作中でヒンドリーは悪役を演じているが、当時としてはむしろヒンドリーの反応が普通だろう。そこに切れ込んだ所に斬新さがある。もう一点は、上述の階級問題も含めて、登場人物を様々な立場に置く事で愛・名誉・憎悪と言った人間性を炙り出している点である。結末に到って、幸福をつかむ人間が一人もいないと言う点にブロンテの人生観・人間観を感じる。

そんな印象を受けた物語。
恋愛物語かと思って読み始めると、「?」となる。
じっさい、物語の中にも幽霊は出てくるが、登場人物がことごとく幽霊くさい。
みな何かに取りついたような極端な性格と、ふたつの丘だけという行動範囲の狭さ、荒地という舞台、よく死んで入れ替わる登場人物たちが、こんな印象を与えている。
ネリーによる虚実まじえた語りもまた、想像と現実の境界をゆるめている。
リアリティがないと言ってしまえばそれまでだが(そういう批判もある)、そうとは言い切れないおもしろさがある。
みんな、それぞれに性格が悪くて、人間的。
悪、愛、どちらにせよそれは執着で、全員がそれぞれに命がけなのは、見ていてすごいと素直に思う。
人間のある一部分を特化して描いた、荒々しい野生的な魅力のある物語だと思う。
それにしても、恋愛ものという看板を背負っているとは思えないほど、登場人物みんな、口が悪い。(訳の問題だろうか・・・)
をもって描かれているのですが、読み終わった後、どうもすっきりしないものが残りました。
周囲の人物の評価を見る限りでは情熱的で独創的であるはずのキャサリンは、傲慢でヒステリー気味で
他人の感情をもてあそぶことが好きな女にしか見えず、愛憎の狭間に生きる複雑な悪漢であるはずのヒ
ースクリフは思い込みが激しいわりに陋劣で凡庸な悪党にしか見えませんでした。
二人が愛を語らうシーンは、互いの魂の同一性についての話と、相手に自分がどれだけ苦しめられているか
、ということ、それといっしょにいたい離れたくないという言葉だけで、結局自分のことしか言ってないのが不気味でした。
二人とも自分のことを棚に上げた他人への悪口雑言がすさまじく、こんなエゴ丸出しの二人の恋愛に
沢山の(無辜の)人間が理不尽な不幸に逢う価値はあるのか?と思ったりも。
と、いうわけでストーリーを恋愛小説として普通に読むとつまらないです。個人的には。
面白いと思ったのは、この話を「自分自身のつくり上げた幻想に溺れて破滅していく人間たちの群像劇」
として捉えた時でした。
ここに登場する人物は皆、特に高潔でもなく、超越的でもなく、狭い自分の価値観のなかで人を決め付け、
陥れ、幻想が破れると他人のせいにする、という人間たちで、彼らの人間模様はどちらかというと醜態だと思います。
これは人が自分のなかに認めたくない部分として持っている部分で、作者はそれを恋愛小説の形式の中に
クールかつ暴力的に表現しているのでは?と思ったときに、少しこの話が好きになりました。
最後のヒースクリフとキャサリンの幽霊は、自分自身の幻想に囚われて地上に縛り付けられる人間の悲しさで
あり、また美しいが実体の無い幻想そのものの姿でもある、てことなのかな、と。
ある種「ボヴァリー夫人」のような?感じですか…ね…
でもやっぱり登場人物に好感がもてないので☆3つ。まあこんな評価もある、てことで。
