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神々の深き欲望

神々の深き欲望
価格:¥ 4,935
出演:三國連太郎,河原崎長一郎,沖山秀子,嵐寛寿郎
おすすめ度
60年代の今村昌平
 わたしが映画青年になりたての60年代末には、今村昌平は既に 高名な映画作家でした。それは、『にっぽん昆虫記』、『人類学入 門』そして本作と、この時期連打された彼の作品群が、虚脱状態に なった60年安保以降の精神状況にある可能性を発信し続けていた からだと思います。つまり、それまで重視されてこなかった人間社 会での性や生理をリアリズムで描き切ることで、新しい歴史動因の 所在を暗示していると受け止められたのでしょう。ただ、これらの 作品群、映画としては重喜劇を志しており、映画としての面白さは、 それが達成されているかどうかに係ります。  その点では、主人公(左幸枝)が実の娘(吉村実子)に出し抜か れ、愛人を奪われる『にっぽん昆虫記』はともかく、主人公(小沢 昭一)と成人した愛人の息子(近藤正臣)達との関係が不鮮明な 『人類学入門』や、一度は島の娘と契った技師(北村和夫)が、そ のことを忘れたように忠実な会社人間として再登場する本作は、滑 稽さが足りず、わたしはいまひとつ興をそそられませんでした。少 なくともこの時点の今村は、師匠格の川島雄三を超えていなかった と思います。  なお、当時彼とフェリーニを対比した批評(倉橋由美子「映画対 文学 市民対庶民」)を目にしました。今思うとこれも的が外れて います。同じネオ・リアリズモの系譜で探すなら、イタリア人のエ ートスを掘り下げていたヴィスコンティこそ対比の相手として相応 しかったのではないでしょうか。
1960年代の神話としての沖縄−−太陽と海の存在感が強烈
 沖縄の離島を舞台にした、一つの神話である。太陽と海の存在感が圧倒的である。そして、その海と太陽に、黛敏郎の音楽がマッチして居る事は、驚きである。と言ふより、『豚と軍艦』もそうであったが、黛敏郎の音楽が、今村昌平監督の映画にマッチして居る事は、黛敏郎と今村昌平監督が、政治的には近いとは思えないだけに、驚くべき事である。  物語は複雑で、正直言って、私には良く分からない所が有る。−−ちょっと、『砂の女』に似た所が有るかも知れない。−−そして、この映画で描かれる南方の離島が、言葉を含めて、沖縄の文化を正しく反映した世界であるかは、大いに疑問である。しかし、1960年代の日本の知識人が、沖縄にいかなるイメージを持って居たかを回顧する為には、興味深い作品と言えそうである。言い換えるなら、1960年代の一つの神話として観るなら、この映画は、それなりに興味有る作品だと、私は、思ふ。(だから、余り真剣に見ない事である)又、好き嫌いは有るだろうが、この映画の性描写は強烈な物で、1960年代の日本映画に、こんな性描写をする映画が有った事は、若い人には、驚きなのではないだろうか。

(西岡昌紀・内科医)

日本の原風景
 泥臭く生臭い、高温多湿の南海の列島の一つで、神々の禁忌=近親相姦が犯される罪で、根吉(主人公)がアニミズムの象徴=巨岩に括り付けられる。ギリシャ神話シーシュポスさながらに、無意味な行為、巨岩を埋めるべく穴堀りを、村衆に命ぜられる。ここでは、本邦では、神の代わりに、衆議が物を言う。今も昔も!

とうとう掘り終えたと思われた祭りのその晩に、不条理にも中止が下る。…島から脱出する彼の妹=ウマと根吉。が、実の息子を含む島民に…後は見てください!こんな泥臭く、汗まみれなのが日本の原点…私は別に恥じない。多神教を、アニミズムを、そこにも一神教に劣らない尊厳、崇高が存在する。当然その現われ=表象は違うが。

今村昌平ファン必見!
琉球と呼ばれていた時代の沖縄を舞台に島のおきてや伝統と現代社会の葛藤を今村監督独特の演出で描く。幻想的でありながら生々しいほど現実的。。。「楢山節考」が好きな人は絶対見るべき。昔の日本の「村」という場所での生命力、生き様は、かったるく生きる現代人に必要なショックなのかも。

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